紅竜の怒り

測定材料：周波数スペクトル報告RA2183-G 幼年期には既にその力の兆候を示していた対象は、強い憤怒感情に触発され異能力に目覚めた。 音痕が右胸にある。共鳴後、音痕近くの皮膚が鱗状の赤い結晶に覆われ、 異能力の発動と連動して高熱を発する性質を持つようになった。 火焔を生成し、制御する能力を有しており、その温度や強さは体調に影響される。実験により、 対象のネガティブ感情が蓄積されると火焔が放出される事が確認された。共鳴周波数スペクトルは「紅竜」という絶滅種と近い。現存材料がないため、これ以上の研究は困難。ラベル曲線に収束がなく、中段では急上昇を見せたため、突然変異型共鳴者と認定する。

波形はジグザグ状、時間領域表示は安定。波高値は上昇する傾向あり。危険域未満、異常波形なし。 診断結果：オーバークロック域は広いが、安定性に欠ける。 オーバークロック歴あり。最高レベル：低。 オーバークロック時、胸部にある鱗状結晶が拡大し始め、体表温度が上昇。放出した火焔は「紅竜」と思わしき形を取る。 かつて石崩れの高地で火災を引き起こした。人員損失はなく、レベル３事件としてEX67891に収録した。 異能力の現状とオーバークロック歴に基づいたオーバークロック可能性は「高い」。オーバークロックの原因は本人の感情状態と強い関係性がある。精神衛生に留意し、定期検診及びメンタルケアを推奨する。

華胥研究院唯一の派遣であるモルトフィーは、嫌でも大いに注目された。
クラシック音楽が好き、毎日のティータイムに欠かせない洋菓子、偏執と思われるほどの潔癖……
これら全ては、彼の非凡な出身を印象づけた。
もちろん家族からは様々な事を教わったが……モルトフィーにとって、それらは大した事ではない。
クラシック音楽が好きな理由は、「音楽家の仕事は音楽を作るのではなく、見つける事。音楽は最初からそこにある」という考えに感銘を受けたため。
自分の研究もあくまで、理を作り出す事ではなく、宇宙に存在する理を見つける事にすぎないと。
お菓子が好きな理由は、考えを巡らした脳に大量の糖分が必要なため。
潔癖なのは、実験を行うために一切の汚れが無い、無菌環境を生み出す必要があるため。だが研究への情熱こそ、彼がこんな人間になった一番の原因。それでも、「親のコネで潜り込んだに違いない」や「管理層に賄賂を渡したからこうも易々とのし上がってきた」などの流言は後を絶たなかった。
しかしモルトフィーはそれに反論することはなかった。『五種類の黒石武器プロトタイプ』：ただ彼の実力を見せつけただけで彼を疑う者は殆どいなくなったからだ。

強い攻撃性を遺憾なく発揮しているモルトフィーだが、気に入らない相手だからといって誰彼構わず悪意を向けているわけではない。
話の聞かない、無理難題を押し付けてくる、自意識過剰などうしようもないクライアントであれば、
彼の火力全開の罵倒の絶好の的となる。
難解すぎて理解に苦しむ比喩、ネオユニオン貴族だけが読める古典、あらゆる瑝瓏の諺……
彼の言葉に潜むその真意を探るためには、途方もない苦労は免れないだろう。
そのため、モルトフィーの発言をノートに記していざという時は、罵倒のための辞書としてそのまま読み上げる同僚もいるとか。
「正直驚いた。」彼は本から視線を離し、
「彼らは別に、口下手というわけではない。身分、立場、私欲……こういった類のものが、枷となり言えないだけ。だが私のようなよそ者であれば、はっきりと言い出せるという訳だ。」研究経費も、人間関係も気にする必要のない言い方。だがあいにく彼は正真正銘の貴族生まれ。そんなことは問題にすらならない。そんなモルトフィーだが、研究員同僚の間では中々の人気があるようだ。面識も特にない人を庇い檄を飛ばすような真似は、中々できない事だから。

同僚たちには禁地とも言えるモルトフィーの実験室だが、
今州城の子供たちにとっては遊園地のような場所。
どんなに困難な注文でも最低限の要点と少しの褒め言葉があれば、
モルトフィーは常に迅速かつ要望通りにこなしてくれるから。
頼まれる時は不満気な素振りを見せても、褒められると「仕方ないな」と言って最優先で解決してくれる。
例え何日も徹夜してようやく完成させた物であっても、自分の苦労は子供たちに隠し「数時間で作った」と言い張る。
「回転ゴロゴロ」、「揺らぐ竜船」、「砕牙イノシシ車」……
今州城の八割以上の遊具はモルトフィーのによって設計されたものだが、別に彼は特許を取得するつもりもなく「つい出来心で」作ってしまったとか。子供たちの羨望と尊敬の視線に頬を赤くするモルトフィー。、そんな彼を見ると、誰も自分のような不幸な幼年期を送ってほしくないという意思を難なく読み取れるだろう。しかしこれらを「時間の無駄遣い」と一蹴し、挙句に強い姿勢で自分の要望を押し付けてきたお偉いさんには、無理難題を押し付けられた方がむしろ好都合。そうして出来上がったモルトフィーの悪戯道具の被害に会った後、「悪戯じゃなくて拷問だ」と悲鳴を上げる人も少なくない。例え今後治安署に転属しても、彼ならきっとうまくやっていける。

貴族たちの上辺だけの礼儀と話術が、幼いモルトフィーが知る全てだった。そして両親の厳しい教育と冷たい態度に嫌気が差し、少しでも気に入らない事があれば、書斎に引きこもってあらゆる物を叩き壊した。
だがこんな単純な破壊には何の快感も感じない——なぜなら、大人たちはただ新品に取り替えるだけだ。
しかし鬱憤を晴らす中で、彼は何とも言えない平静を感じ始めた。
機械に機嫌なんてものはない、褒めても何も出ない、怒っても仕方がない。
壊れても、ちゃんと仕組みを理解して修理すれば、元通りになる。
何回も何回も分解と修理を繰り返したモルトフィーは、機械と「交流」し始めた。
その行動が親に見つかった時は、叱られると身構えた。しかし予想と反して彼は大いに称賛された——優れた技術への崇拝。それこそネオユニオン人の本性であるため。
そして両親の支持を元に、彼は全てを手に入れた。
高価で希少な素材、優れた学者たちによる教育、研究会に参加する資格……
気づくとモルトフィーは、「ネオユニオン最年少の天才」の冠を被っていた。
だがそれも、あの少年と出会うまでの事。
ネオユニオンの博覧会、モルトフィーは17歳だった。
目の前の「あれ」は、ガラクタとも言える素材で、人智を超えた手段により驚異的な性能を実現させた。
一見気まぐれな配分には、何十編の論文で研究されたとしても尽きない価値を持つ。
実に低劣で簡単。誰の手にも届く物だ。それでも、自分の発明より遥かに実用的……
使われるために作られた物だ。本物の天才にしか作れない。
モルトフィーの熱い視線を感じたかのように、少年は目を上げ彼を見返していた。
轟く歓声の中で、彼は少年の出身——「瑝瓏」という国だけを覚えた。

鳴潮科学が確立される前は、黒石によって実現された新技術を「魔法」と呼ぶ人もいたらしい。
なぜ成人式の日に家出したのか、瑝瓏に向かう途中で何が起きたのか……
それこそ今のモルトフィーの研究への情熱に繋がる要因だが、知る者は少ない。
「射出モジュールに“少し”手を加えた。これで100倍以上のパワーで作動できるが、まずは手順をしっかり踏んでだな……」
「待て待て。失敗したらどうなる？」
「逆流するエネルギーは地下で大爆発を引き起こし、今州城を“天城”にする可能性が非常に高い。」
「……」
「なんだその目は。私の仕事はあくまでも要望通りに作る事と充分な説明をする事だけ。
使い方に関しては、君たち自身の問題だ。」
流石に天工の総事務長でも、多発するこの問題に目を瞑るわけにはいかなかった。
だが効率だけ重視する彼のやり方により、黒石科学は高速発展を果たしたのもまた事実……

７日目の連勤。いくら研究熱心な路慎教授でも、モルトフィーの体調を心配し始めた。
「何のために研究するのか。それは、理を明らかにする者として、はっきりさせなきゃいけない最初の課題だ。
私は……そうだな。こいつらと“交流”するのが好きなだけかもしれない。」いずれ燃やし尽くす命なら、もっと高く、もっと強く、焔が人々導く道標になるまで燃やさねば。出力されたデータを一瞥し、モルトフィーは力を抜いて椅子に倒れ込み目を閉じた。「世間の目など気にもせず、身を燃やし探究し続ける彼こそ、我が研究院の“魔法”と呼ぶに相応しいかもしれませんね。」こんな彼をどう上手く扱うのか、それもまた総事務長を悩ませる問題の一つだ。